皆さまこんにちは。
先日、家族会総会があり総会を行うことで振り返ったり、皆で気持ちを寄せあったりすることがやっぱり大切だなと感じました。
ここの家は無認可作業所設立30周年記念の年ということもあり、皆さまには『ここの家』の名前が生まれた話を知っていただけたらと思います。
手書きでの記録から文字起こしをしたので、少し長いですが読んでいただけたらと思います。また、手書きの方は写真で添付させていただきますのそちらもご覧ください。
『ここ』というネーミング
決まるまでのすったもんだとあとから気づいたなん(・・)だ(・)かん(・・)だ(・)
結局はえらい簡単で「なんやこれ」みたいな名前になんたんやけど、まあ生まれてみれば忘れてしまいそうでも、ほんまは、すごく難産でした。
思い起こせば4年前に、「とりくむ会10周年の集い」をやったときに、名前のことが話題になりました。生活の場のことは、まだ夢をもちよる段階で、具体的には考えられていなかたんですが、そもそも「鶴山台『障害児・者』問題にとりくむ会」というのがどうもダサいんちゃうか、ということからはじまったんです。中年太りというか、もとからというか、そんな会員の面々に「とりくむ」っていうのは似合ってるで、という冷やかしは、この際おくとしても、この10年、自分たちがやってきたこと、やろうとしてきたこととこの会の名前はどうもずれてるなっていう気分は、みんなにあったんだと思います。そのとき結(ゆい)とか結び(おむすび)の会なんてどうやという話もでました。もちのように一つ一つのモチ米がつぶれて一つにまとまってしまうのではなく、米の一粒一粒はちゃんと立っていて、しかもそれらがしっかりとつながちあている、なんてことをいってたのを覚えています。
でも、結局はそのままで、第1ラウンドは終ります。第2ラウンドは、とりくむ会で、来るべき時に備えて、みんなでエイッと目をつぶって一軒家を購入した時です。暮れの「おもちつきとバザーの集い」で、この家の名前を考えて下さいって一般募集なんかもして、今日は決めようとみんなが、ある晩集まりました。
現在ある共同作業所や生活の場の名前を書きだしてみて、口々にあんまりええのないなァとか、も一つやなァと悪口いいながらも、いざ考えるとなると、なかなかいいアイデアも名前もでてきません。でもそのうち興がのってきて、いっぱい名前をホワイトボードに掻き並べて、あーでもない、こーでもないといいあったり、へんなあて字の感じを考えて大笑いになったりで、えらくもり上がったのが印象に残っています。夜も更けて、午前3時ごろだったか、「あー面白かった」「あー、疲れた」といいあって、第2ラウンドもこれで終了。ホンマ何やってんのか。
そして今回あとがない第3ラウンドを迎えました。4月から生活の場のかいしょが決まっています。補助金がおりることも決定しました。なのに当の名前がきまっていない。どうしよう、こまったな、早くせな、とかなんとか思いながら、3月入ってからは「しがらきから吹いてくる風」の上映会のための準備に追われていました。
幸い、昼と夜の映画会には、たくさんの地域の人たちが足を運んでくれ、その勢いに乗じて、3月14日上映会当日の夜、何がなんでも今日は決めようと、みんなが寄ることになりました。
これまで第1・第2ラウンドで検討されてきた候補がホワイトボードに書き出されていきます。まずはそのラインナップから、、、
- むすび
- 結(ゆい) これらは、前々から出ていた名前でした。
- ひまわり・・・家の前の庭にひまわりがたくさん夏に咲いたが今はない
- ホロン ・・・一部が全体を映しだす、あるいは含むという科学用語とか
- ノアノア(NONOA)・・・タヒチ語でいい香り、気持ちいいの意
- ビビンバ・・・ご存知 韓国式まぜごはん
- マサラ ・・・インドの混合スパイス
ここらはみんなごちゃごちゃ混じってて一緒にいるっていうイメージ
- 涅(ね)の家・・・涅槃(ねはん)の涅。一切の煩悩からの
解脱、水と日と土のイメージ
- 走る蝸牛(かたつむり)・・・ゆっくりいくぞ
- ポレポレ・・・これもスワヒリ語でゆっくり
- ルンマーランド・・・ミヒャエル・エンデの童話の中の造語・邦訳はフクラム国
- サルボダヤ・・・梵語で覚醒、気づきの意
- 陽だまり
- フリーハウス
- 風車(かざぐるま)
- ここ
- たんぽぽ
- マイ夢
- 夢見亭
もっとあったかもしれないが、出そろったところでまず第1選考です。「ありふれているで」、「わけわからん」、「これなんや」、「近くに同じ名前のあるデ」なんていう理由で、ひまわり、マサラ、涅の家、サルボダヤ、ルンマーランド、ポレポレ、たんぽぽ、夢見亭が脱落。残ったもので第1回目の投票が行われました。「ノアノア」が13票でトップ、2位は9票の「かざぐるま」、「結」、「ここ」6票、あと「フリーハウス」「ホロン」と続きます。ここで上位6つについてカンカンがくがくのはじまりです。
「ノアノア」は芝マー君の最近の口ぐせともタイミングが合って断然トップだったのが、「ほんまにタヒチ語でそういうんか」といわれると、誰も自信がない。「図書館でタヒチ語の単語調べてくれた人いるけど、はっきりせんみたいやで」と旗色が悪くなる。
いろいろすったもんだのあげくの逆転で「かぜぐるま」と「ここ」が残りました。おもしろいことに、この二つとも、その夜、はじめて出てきたもので、しかも当日の映画会「しがらきから吹いて来る風」にちなんだネーミングでした。小室等歌うところのこの映画の主題歌が「ここから風が」というのです。芝さんのお父ちゃんが「“ここ”っていうのいいなァいれといて」というと、山口さんのお父ちゃんは「嫁さんが風車がいいっていってる」と強い推薦でした。
ここから、この二つをめぐって、じっくりと、それぞれのイメージ、ええとこ、わるいとこを出し合います。
「かざぐるま」って、自分からまわらへん、外からの風をうけてまわるやろ、たくさんの人たちの思いが風になってかざぐるまがまわるんや、ええイメージやろ、なるほど!そやけど水戸黄門の“風車の矢七“っていうものもあるからな、それに「かざぐるま」って、昔の子がもってたりしてちょっとさみし気せえへん?そういうたらそうやな、いや、そんなこともないで、「かざぐるま」って「ふうしゃ」ともよめるやろ、原発にかわって電気も起こせる、未来の自然エネルギーっていうたらおおげさやけど、力強いイメージもあるで…などなど、
一方、「ここ」って音のひびきがいいし、簡単で可愛い。いいやすいけど、電話かかってきて、「はい、ここ(・・)です」ってややこしならへんか。イメージとしてはどうなんやろ?ここ(・・)というんは、この生活の場だけの「ここ」やなしに、みんな一人一人に、それぞれの「ここ」があるんや、そんなふうに思う方がええな。そういうたらこんな話があったな。「ユートピア」って言葉あるやろ、あれ、「ユー」はギリシャ語で否定をあらわすコトバで、「トピア」は「場所」。そやから「ユートピア」って「NO WHERE」、つまり「どこにもない場所」っていうことになるそうなんやけど、この「NO WHERE」、ようみてみると、「NOW HERE」によめて、「ユートピア」は〈いま、ここ〉やってことになる。
ああ、そんなこと、どっかで聞いたことあるわ、せやけど「ココ山岡」ちゅうのがなァ・・・・・
誰かが意見を出すたびに、一同の気持ちは右に左にゆれました。時間は、とっくに午前1時をまわっています。えーか!ほんなら最後の投票するで、最後やから、格好つけて無記名で投票や、紙にどっちかかいてや、両方書くのんなしやで、とかなんとかいううちに、ついに決定の時がやってきました。なかんかみんなきめられません…ようやく用紙が出そろって、ホワイトボードに正の字が書かれていきます。一進一退、ぬきつぬかれつ…そしてふつうなら、こんだけウヨキョクセツ・カンカンガクガクの末に決まったんやから、ワーッと喚声が上がったり、拍手があってもいいのに、一同シーンとしているのです。難産の末の仮死状態での出産という感じでした。「かざぐるま」執心していた指導員の西村さんは心の整理に一晩かかったそうです。こうして、ほとんどビョーキの命名劇はその幕を閉じたのであります。
いろいろお化粧やアンコをくっつけた正式名称“「障害者」とともに生きる生活の場「ここの家」”が呱呱の声をあげました。ある哲学者にいわせると、命名というのは、それ自体広い意味での呪術行為で、ものを零から生み出すことだとのことです。されば、あの夜、私たちは憑かれたように、ゼロから何かを生み出す呪術的儀式を行っていたということになるのでしょうか。
ともあれ、あれから1ヶ月あまり。4月1日からは実際に生活の場は動き出し、電話にも「ハイ、ここの家です」とスラリとでてくるようになりました。名前の評判もまずまずです。
でも、そうと決まったあとで、あらためてみていると、この名前がまたやたらと目につくのです。最近の女性の歌手グループに「ココ」っていうのがいるなんて、我々中年のおっちゃんやおばちゃんは全く知らんかったし、「ココ シャネル」はまあいいとして、この間梅田を歩いていて、ちょっと横道にそれたところに、「二人に優しいナントカ…ココ」ってラブホテルの看板がありました。えっと思いながらも、なるほど〈いま、ここ〉を一番燃えてすごすにはいい名前なんて思ったり....決まったあと初めてフランス語の辞書にあたってみると、ココ(COCO)には、ココナッツから、頭、胃、ガソリン、卵、更にはコカインや共産主義者という意味まで、でてくるわでてくるわでびっくりしたり...
それにもう一つ。イメージキャラクターをつくろうということになって、知人のデザイナー下地さんに頼んでいろいろ描いてもらうことになりました。その一つが偶然狐だったんです。ああそうか、ここ(・・)はこ呱呱でもあるんか、信太の狐は葛の葉物語で全国的に有名やし...よしこれでいこうとなりました。これもあとから気づいたことです。本当にいろいろと楽しませてもらいました。難産で仮死状態で生まれた「ここ」も、今はすくすくと育つ気配をみせています。どうか今後共みなさん方のあいだで、じっくり育てていただきますようお願いいたします(K)
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